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   治 療 の ヒ ン ト


■ 幼児期の吃音への接し方(DCM理論)   
 

 幼児が3歳前後で吃音を発症する場合、本人はあまり吃音の自覚がなく悩むことは少ないようです。それに反して親御さんたちが「私の育て方が原因か」と強く悩んで自分を責めてしまわれることが多々あります。しかしこれは医学的にはほぼ否定されており、吃音の原因は親の育て方とはあまり関係はありません。しかし吃音を悪化持続させないために親御さんに協力してもらえる点がいくつかあります。それは「DCM理論(demands and capacity model)」に基づく方法です。要約しますとその幼児に能力以上の言語的な負荷をかけないことです。具体的な方法は次のようなことです。

①幼児に不相応な難しい構文や語彙を避ける。

②幼児が焦らないように、ゆっくり目に話しかける。

③次々と質問責めにしたり、矢継ぎ早に質問をかぶせない。

④幼児がどもっても「もう一度いってごらん」と言いなおさせない。

⑤幼児の話し方にではなく、幼児が伝えたい話の内容に注目し関心をもってじっくり聞いてあげる。

⑥幼児の話を横から中断せず、親が間をおいてゆっくりした会話スピードで対応してあげる。

⑦他の兄弟が会話に割って入ってこないように、兄弟の居ない場所で、毎日数10分自由にゆっくり幼児が話せる時間を1対1で対定期的に設けてあげる。

 以上がDCMの具体的な方法です。これにより吃音の幼児は会話自体の楽しさも感じやすくなります。

 

 ■リラックス法の修得(青年、成人)

 吃音症状には波があります。

総じて、心身がストレスによる緊張などで参っているときに吃音は悪化する可能性があります。

リラックス法とは、心身をリラックス状態に誘導する技法で、万人が簡単に行える利点があります。心身症の自己治療法のひとつとして、歴史的な積み重ねの経験則を基盤とするものから科学的解明のすすんでいるものまで多くあります。マインドフルネス、アロマセラピー、ミュージックセラピー、芸術療法まで幅広いジャンルが含まれます。ここでは、古くから臨床的に治療効果が検証されている3つを記述しておきます。

利用しやすいリラックス法

腹式呼吸

詳細は下記(追補1)参照。交感神経系の優位状態を、腹式への呼吸誘導によって副交感神経優位状態へと導く手法です。

自律訓練法

詳細は下記(追補2)参照。他者催眠からヒントを得た自己暗示法の一種。一時は心身医療の三大柱の治療法のひとつとして話題になった。「受動的注意集中」が修得の基本的態度であり、実施にあたっては、「 Let it be ! (あるがまま、なるようになれ) 」の感性が大事。

筋弛緩法

詳細は下記(追補1)参照。筋肉を意図的に弛緩させ、それに連動する心理的緊張を解くのがねらい。やはり副交感神経優位に誘導する手法であり、利用する筋肉は症状の種類によって変えられる。

 

 <追補1>
 心が緊張すると下表の左側に示すように喉がつまり、肩の筋肉が緊張し、粗い呼吸をし、動悸がして、手足は震えますね。また、血圧や血糖が上がり胃腸の運動も円滑さをなくします。 逆に心がリラックスすると、下記の表の右側のような変化(副交感神経優位)が生じます。
 ところで下記の表の項目の内、左右への移行を個人が意図的に(自力で)変えられるものは「随意筋の緊張」と「呼吸法」の二つしかありません。この「意図的に変えられる器官」という点に着目された技法が、呼吸法と筋弛緩法なのです。すなわち呼吸や筋緊張を意図的に表の左方から右法へと導くことで、他の心身の項目を引き連れて右側へと変化させる生理学的手法といえます。ひとつの項目を下図の左→右へと変えることで、他の心身の部分もワンセット方式で左→右へと変化する。これにより血圧や血糖の低下を招き、吃音に関与する筋肉の緊張にも影響を及ぼすと考えられます。


<追記>  

 交感神経系と副交感神経系の作用

自律神経  交感神経優位➡ 副交感神経優位

筋肉      緊張  ➡ 弛緩

呼吸      胸式呼吸➡ 腹式呼吸

脈拍      速い  ➡ 遅い

瞳孔      拡張  ➡ 収縮

唾液分泌    低下  ➡ 増加

発汗      増加  ➡ 低下

手指の血流   低下  ➡ 上昇

膀胱      弛緩  ➡ 緊張

腸管運動    不整  ➡ 円滑

血圧・血糖   上昇  ➡ 低下

心理緊張・   興奮  ➡ 落ち着き・平安


          
      
■ 対人関係についてのヒント
 (1)すべての人に好かれる事は無理である。
人に嫌われることは、ある人にとっては「見捨てられる不安」であり、ある人にとっては「情けない自己に直面する不安」といえます。これらの不安は誰にでもあるものですが、問題はその不安の強さです。「すべての人に好かれたい」というのは一種の完璧主義ですが、無意識にそういう心境に陥っている人は案外多いようです。特に人間関係に自信のない人にその欲求が強いようです。逆にその欲求が強いからこそ自信をなくしているとも言えるのですが。
例えば10人位の職場やサークルに自分が所属した場合を考えてみましょう。10人すべての人に好感を持たれることは理想でしょう。しかし一般的に10人の人間がいれば、そのうち2人位には嫌われるのが普通なのです。それでも好かれようとするならば、かなりの身を削る努力が必要とされます。もしその努力の結果ほぼ全員に好感を持たれたとして、「過剰適応」という歪みが内面の重荷となって心身にいろいろな症状が出てくる事になります。対人緊張で悩む人には、このような「過剰適応」がストレス要因となっている場合があります。大雑把に言うならば、対人関係に慣れるとは人に嫌われる事にも慣れる(人に嫌われる事に過敏にならない)という事なのです。 そう言えば最近、「嫌われる勇気」という本がベストセラーになって本屋にたくさん積まれていますね。
ついでに記しますと、人に嫌われた場合、対人緊張の強い人は嫌われる原因を自分の内側にばかり見だそうとします。確かに誰の中にも嫌われる何らかの要素は必ずあるでしょう。完璧な人間などいないのですからね。しかし、嫌うという感情は「嫌う側の人」の自由な感情の産物なのです。それゆえ「嫌い感情」の責任は「嫌う側の人」にあるのです。例えば、AさんがBさんを嫌ったとします。その場合、何故嫌うのかという理由は、まずAさんが自分の心の内面の問題として考えねばなりません。なぜなら、BさんがAさんに「嫌いになれ!」と強制しているのではないからです。イワシの味が好きでサバの味が嫌いという場合、イワシやサバにその責任があるというより、各人の嗜好性にこそ責任があるというのと同じ理屈です。対人緊張の強い人は、いつも他人の感情に対して責任をとりすぎてしまいます。

(2)強がりは弱さであり、弱さを表現できる事は強いこと。
 有名な医学部教授が自著で述べておられますが、ある医学会の発表直前にストレス性胃潰瘍で大量吐血されました。その事を振り返って教授は、「いい発表をしたいという「功名心」がストレスの原因だった」と素直に感想を述べられています。有名な教授でさえ、学会直前には体面や強がりを捨てきれず、吐血にまで至られたわけです。まして我々のような凡人が自分の弱さを敢えて人前に曝せるわけがありません。しかし、その教授が後日談であれ、このように内面の脆さ(?)を自分から率直に語られたことは、再び先生の本当の強さの証なのだと誰しも強い共感を覚えたに違いありません。
  自分の弱さや脆さを他人に呈示することに慣れること。その第一歩は、まず自分の弱さを、じっくり自分で眺めるという事でしょう。それはとても難しい心の作業ですが、なるべく客観的に眺められるなら、そのような心の作業は自分の心の強さの土台になりえます。実は、強がることより、弱さを提示することの方が勇気が必要なのですから。
 
(3) 誰かに語ると、喜びは二倍になり、苦しみは半分になる。
  「喜びは誰かに語ると二倍になり、逆に苦しみは誰かに語ると半分に減る」と言われます。
これはカウンセリングの基本原理でしょう。このことは見方を変えると、人には絶えず他者が自分と同じ心境になってくれる事を求める心理があるという事なのです。例えば、怒っている人は周囲の誰かを怒らせる態度をとります。不機嫌な人は相手をも不機嫌にさせようとします。不安な人は周囲の誰かを不安がらせます。もちろんこれらは意識的に行われることも無意識的に作用することもあります。つまり感情というものは意識的あるいは無意識的に周囲に伝染するのです。そして他人への感情の伝染はそのまま心の癒やしにつながります。ただし我が身の感情は誰にでも伝わるものではありません。ある程度心の波長の合った人にしか伝わりません。ですから、いざという時のために心の波長の合う人を日頃から身近に探しておくといいでしょう。感情の上手な発信者は感情の上手な受信者です。他人の心の波長に自らの波長を合わせる練習も必要でしょう。
ところで発達障害(発達症)といわれる人たちには、このような共感能力が生まれつき乏しく苦労されている方がたくさんおられます。専門的な医師やサポーターによる診断と対応が早期から必要と思います。

 

■ 寓話や諺から学ぶ知恵
「脳内革命」という本がて以来、プラス思考という言葉が一時流行りましたね。確かにプラス思考が臨機応変に出来るならば、深刻な悩みも一挙に軽くなるでしょう。ところで古来からプラス思考をうまくアレンジした諺が現代まで数多く生き残っています。その代表格である「塞翁が馬」という中国の古い寓話について述べてみましょう。
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  昔、あるところに一頭の馬を飼っている人がいました。ところがある日、その馬が逃げてしまいました。すると人は、そんな悪い事ばかりおこらないよと慰めてくれました。馬主が嘆いていると、なんと逃げた馬は後日、雌馬を連れて2頭になって帰ってきたのでした。馬主は大層喜びましたが、そんないい事ばかり続くわけがないと人は言いました。するとその通りに、彼の息子が馬から転落し重い障害を持つ身になってしまいました。すると人はそんな悪いことばかり続かないよと言いました。やがて戦争が始まり、若者達が戦争にかり出され殆どの若者が戦死してしまいました。ところが馬主の息子は障害があるため徴兵をまぬがれ、命を落とすことはありませんでした。
  つまりこれは、不幸と思う出来事のなかに実は幸せの種が隠されており、幸せの中には不幸の種が隠されているんだよという事を暗示した諺です。不幸な出来事が起きても結末なんてどうなるか分からないから絶望的にならなくていいよということなのです。 このように古来からの寓話や諺、あるいは語り継がれた童話などの中には、人生を絶妙に言い当てたものが数多くあります。これらをヒントにするのもストレス対策になるでしょう。

■ 認知の修正(プラス思考)

 

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■ 森林浴など自然の癒し

 毎日ほとんどの人たちは、職場でも家庭でも壁や机や機械などの人工の産物に囲まれて生活しています。これら人工物の特徴は自然にあるものと異なり、規則性・等間隔のリズムに制された規格品です。しかし人間のもつ生体リズムには、自然界の諸現象に符合して、1/f という揺らぎが基本にあります。1/f  揺らぎとは、吹く風の息、揺れる木々の動き、虫の羽音、川のせせらぎなどにみられる微妙な不規則性です。そして、そのような揺らぎは心臓の鼓動や呼吸・血圧の不規則な変動などに認められているのです。
 H16年 1/f 揺らぎがしっかり存在する心臓ほど心臓疾患の発生が抑制された、という調査結果が著名な日本の心臓専門医によって報告され反響を呼びました。森林浴など自然のなかに身を置くと、この1/f 揺らぎに生体が共鳴し、「心身」と「自然」がうまく調和しやすくなると言われます。調和は心身の安らぎをうみ、リラクゼーション効果がえられやすくなります。また、森林の緑は疲れた目に優しいことも知られています。さらに、さまざまな植物の発する「フィトンチッド」は、心身の癒し効果を有し、自然治癒力の向上につながると言われます。
日々の生活に疲れたおり自然の懐に身をゆだねることは、癒しの原点と考えられるのではないでしょうか。



以上、読んでくださりありがとうございました。
吃音について考えるヒントにしてもらえれば幸いです。

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